志賀高原の大地

 

 

 

左の図は志賀高原の大地の様子を立体的に示したもです。高原状の大地の上に志賀山、焼額山、岩菅山、笠ヶ岳などのいくつかの山が見られます。

 

中央部には雑魚川が流れ、また志賀山周辺を源流とする横湯川と角間川も見られます。これらの川は最終的には信濃川に合流し、日本海に注ぎます。

 

 

また、志賀高原には大沼池、琵琶池、木戸池などの多くの湖沼が見られ、さらに四十八池湿原や田ノ原湿原などいくつかの湿原も広がっています


志賀高原の成り立ちと大地をつくる岩石

 

志賀高原の大地は、3種類の岩石でつくられています。もっとも古いものは16001500万年前の海底火山の噴出物からなるグリーンタフ、次にマグマが地中で長い時間をかけてゆっくり冷え固まった閃緑岩という名の深成岩、そして大地の表面のほとんどは火山から噴出した溶岩で覆われています。

 

このように志賀高原のほとんどは火山活動(マグマ活動)できた大地と言えます。

 

グリーンタフは火山灰や溶岩などの海底火山の噴出物が固まった岩石で、溶岩のかけらが見えます。

 

深成岩はマグマがゆっくりと冷えて固まったため、鉱物の結晶が見られます。



グリーンタフ

 

リーンタフは日本語で緑色凝灰岩とか、緑色火山岩と呼ばれています。このグリーンタフは、火山灰などの海底火山の噴出物が固まった後、変成して緑色になったものです。およそ1600~1500万年前のものと言われています。

 

写真左は雑魚川(奥志賀渓谷)で、河床がグリーンタフになっています。写真右は、同様に奥志賀渓谷にある大滝(おおぜん)で、この滝もグリーンタフから成っています。 

 

志賀高原では、このグリーンタフは岩菅山登山道のアライタ沢や角間川の幕岩付近でも見ることができます。

 

         奥志賀渓谷 雑魚川

          大滝(おおぜん)



志賀高原の火山活動

 

 

写真は東館山の山頂付近から南方面の眺望です。左から横手山、裏志賀山・志賀山、そしてドーム状の笠ヶ岳が見えます。

 

志賀高原の火山活動は大きく二つの時代に分けられます。ひとつは『志賀高原火山群』と呼ばれ、 270万~70万年前の活動です。これには、横手山、笠ヶ岳、焼額山、カヤの平などが含まれます。 

 

もうひとつは『志賀火山』とよばれ、 活動の時期はおよそ25万年前1万年前です。これには、 志賀山、鉢山などが含まれます。


志賀山

 

志賀山(2035m)は,2回の活動をしています。

最初の火山活動はおよそ25万年前に始まり、溶岩や火砕流を大量に流しました。これらの火山噴出物は,横湯川と角間川に挟まれる地域を厚くおおい、湯田中温泉の地下まで分布しています。上林温泉から蓮池へと通じる国道292号線は,これらの噴出物の上を走っています。

 噴出物の流れた後には凹凸の地形ができ,凹地には水がたまり湖沼ができました。琵琶池・丸池・蓮池・長池・木戸池・三角池などはこのような池です。 

 

新期の火山活動は,およそ5万年前で大量の溶岩を噴出しました.信州大学自然教育園は,この溶岩がつくる台地の縁に当たり,ここを入り口とする『まがたまの丘コース』では。志賀山の溶岩が数多く見られます。また、北東へ流れた溶岩流は,横湯川をせき止め大沼池をつくりました。

 写真は蓮池からの志賀山()と裏志賀山です。


焼額山

 

 

焼額山は,志賀高原の北側に隣接する火山で,70-90万年前に活動しました。山頂周辺は,これとは異なる新期火山噴出物におおわれているといわれています。

 

また、山頂にある稚児池は、火口の跡ともいわれています。山頂には湿原も広がっており、山頂に至る登山道ではアサギマダラなどの蝶もよく見られます。 

 

 写真は山頂にある稚児池です。


岩菅山

 

 

古い時代につくられた山ですが、ここで噴火活動があったか、ということを含めて、詳しいことはわかっていません。

 

山頂直下には柱状節理が見られ、また登山道には板状節理も見られます。 

 

東館山から岩菅山へのハイキングコースは気持ちの良い稜線歩きが楽しめます。


笠ヶ岳

 

ドーム状の形をした山です。 地下から上がってきた粘性の高いマグマが、地表近くで冷えて固まってできたもので溶岩円頂丘と呼ばれています。

 

古い時代の火山で活動時期はおよそ170万年前と言われています。

 

山頂の岩の上に小さな祠が見られます。田中澄江の『花の百名山』によれば、この山は、かって地元の人々の信仰登山の中心であったそうです。


カヤの平

 

 

地形図にあるカヤの平は、新期の高標火山の活動によってできた台地ですが、その北のブナ林が広がるカヤの平は古期の溶岩がつくる緩斜面です。 

 

信州大学自然教育園内の説明板には次のようにあります。『この古期溶岩の表面には長期間の風化によって、1mを越える厚い土壌が形成されました。当園内に石や岩をほとんど見ないのはそのためである』。


澗満滝

 

角間川にかかる澗満滝は、幅20m、落差107mにおよぶ志賀高原最大の滝です。若山牧水の「澗満瀧」の歌碑もあり、人気のスポットです。

 

 滝の両側で異なった岩の様相を見せています。左岸(写真に向かって右)は比較的均質で、これは古い時代にマグマが地中でゆっくりと冷えて固まった深成岩からなっています。 

 

右岸は約25万年前の志賀山の溶岩や火砕流堆積物からなり岩壁の表面も少しゴツゴツしています。


柱状節理

 

柱状節理とは地表に噴出したマグマが冷えて固まる際に,収縮して冷却面に対して垂直にできる規則的な割れ目です。六角形が多いのですが、それ以外の形のものも見られます。

 

 下左の写真は数百万年前に活動した岩菅山直下のものですが、やや丸味を帯び風化していることがわかります。  

 

下右は角間川渓谷にある幕岩の柱状節理です。幕のように広がっていることからこの名前がつけられたと言われています。柱状節理の下の薄い緑色のグリーンタフと美しい対比を見せています。

 

        岩菅山直下の柱状節理

           幕岩の柱状節理



板状節理

板状節理とは地表に噴出した溶岩が冷えて固まる際に,収縮して冷却面に対して平行にできる規則的な割れ目です。

 

左の写真はまがたまの丘コースの登山道にあるものですが、横に平行の線が走っており板状節理であることがわかります。この溶岩はおよそ5万年前の志賀山の活動によってできたものです。

 

右の写真は岩菅山登山道沿いの板状節理ですが、注意してみますとこの板状節理は登山道の石や大きな岩にも見ることができます。

 

薄く剥がれる特徴があるため、建築用の内装外装用石材として使われることがあります。諏訪の鉄平石は特に有名です。




塊状溶岩

 

まがたまの丘コースにあるふた子岩です。

 

志賀山の溶岩は粘り気の強い安山岩質であるため、固まりかけた部分を後から流出した溶岩流が押し壊し、様々な大きさの岩塊をつくったと言われています。このような溶岩を塊状溶岩といいます。 

 

このコースにはこのような塊状溶岩がいくつもあり、その上に針葉樹などが広がっています。


風穴

 

大沼林道(池めぐりコース)にある溶岩の隙間から涼しい風が出てきます。夏の暑い日にこの前を通るとひんやりとした空気が心地よく感じられます。

 

溶岩が重なり、その隙間がつながって風の通り道ができています。この隙間は日光が差し込まないため、その中の空気は大気と比べて低くなっており、冷たい空気が出てきます。

 

「ふうけつ」とも「かざあな」ともいわれています。


湖沼と湿原の成り立ち

 

左の図は地形図をもとに作成した志賀山周辺のものですが、溶岩の流れや湖沼の形がわかります。

 

これらの湖沼には、生い立ちに違いがあります。溶岩の表面にできた凹地に水がたまったのは、琵琶池、丸池、蓮池、長池、三角池、木戸池などです。

 

火口にできたのは、鉢池、黒姫池、元池などです。志賀山周辺には、お釜池、志賀の小池などがありますが、いずれも志賀山の火口湖で爆裂火口に水がたまったものと言われています。   

 

また、大沼池は溶岩流にせき止められてできた堰止め湖です。 

 

 湿原にも河川の最上部にできた四十八池湿原、高天が原湿原(せせらぎコース)、火口付近にできた焼額山の稚児池湿原、干しあがった湖の底にできた田ノ原湿原、溶岩の凹地にできた前山湿原などがあります。

 


大沼池

 

志賀山の約5万年前の火山活動は、大量の安山岩の溶岩を噴出しました。北東へ流れた溶岩流は横湯川をせき止め、大沼池をつくりました。 

 

この大沼池もいくつかの沢が流れ込んでいるため、それらの沢が運び込んだ土砂が入り込んでいます。現在の大沼池は周囲5.5 km、深さ26mですが、せき止めによって誕生した当時は、もっと広く、またもっと深かったと言われています。

 



大沼池はなぜ酸性?

 

大沼池は強い酸性で、浮遊植物も浮遊動物も他の池に比べて極めて少ないと言われています。 

 

では、大沼池はなぜ酸性なのでしょうか。写真は裏志賀山から大沼池を望んだものですが、大沼池後方の赤石山中腹に白く見られる崩壊地があります。

 

これは、19101926年の間に崩壊したもので、この崩壊により、地下に埋もれていた硫化鉄を含む地層が露出し、それが雨水と反応するなどして硫酸塩が生成し、生成した硫酸酸性水が大沼池に流入し、大沼池の酸性度を高めたといわれています。


渋池の浮島

 

池の中にいくつかの小さな島が浮いています。これは浮島といいます。浮島の中には池の底とつながっていて動かない浮島もあります。これを固定浮島と呼ぶこともあります。

 

尾瀬ヶ原の浮島は固定浮島のほうが多いと言われていますが、渋池の浮島はどうでしょうか?

 

風のある日に観察すると動いているのがわかります。


田ノ原湿原

 

古い時代の志賀山の活動によってできた溶岩の流れは、坊寺山付近で角間川をせき止めました。これにより旧志賀湖と呼ばれる大きな堰止め湖がつくられました。

 

 

 やがてせき止めが崩れ、現在の田ノ原湿原ができました。


田ノ原湿原のシュレンケとブルテ

 

田ノ原湿原の表面には微地形の凹凸が見られます。この凹凸はそれぞれ凹部をシュレンケ、凸部をブルテと呼びます。

 

地下水位がやや高いブルテにはツルコケモモやヒメシャクナゲなどが、また水がたまりやすく常に湿った状態にあるシュレンケにはモウセンゴケなどが棲み分けています。

 

 

ブルテとシュレンケの形成理由については諸説あり、いまだはっきりとは解明されていません。


四十八池湿原

 

志賀火山と鉢火山の誕生により、盆地状の地形が形成され湖ができました。湖は土砂の流入により浅くなりヨシ-スゲ湿原(低層湿原)が発達しました。

 

湿原は腐植酸により次第に酸性になり、現在のようなミズゴケ湿原(高層湿原)に変化し、四十八池湿原ができました。